インタビュー第2弾は、タテヨコ企画のもう一人の主宰、舘智子氏にお話を伺いました。
舘 よろしくお願いします。 -- まずは、タテヨコ企画を立ち上げた“きっかけ”から教えていただけますでしょうか? 舘 最初のきっかけは、横田がまだ青年団で俳優をやっていた時に、東京タンバリンという劇団に私と横田が客演で参加した時ですね。私はいわゆる「静かな演劇」というジャルンの作品への出演は、その時が初めてだったんです。それで、同じ公演に青年団の方々が参加していて、その方々から稽古の時に「なんで、あなたはこの近い距離でそんなに大きな声を出すの?」といった基本的なことを指摘されて、「なるほど?」と思っていました。そうしたやり取りのなかで横田と、、、何だったのかな?明確な“きっかけ”というのは、あんまり覚えていないんですよね。 -- なるほど(笑)。東京タンバリンで出会ってからタテヨコ企画を立ち上げるまでには、期間があるんですね? 舘 2、3年はあるんじゃないかな。タテヨコ企画を始めた頃には横田は俳優をやめていて、東京タンバリンの美術などを手がけていました。私は横田と共演した後にも東京タンバリンに何回か出演していたので、しばらくは役者で参加している人と美術で参加している人という関係でしたね。その時の方が共演した時よりも話したのかな。“劇団とは”というような話題だとか。それで何かやろうかということになってきたのかな? -- だんだん思い出してきましたね(笑)。 舘 ほとんど何かのリハビリだね(笑)。 -- タテヨコ企画は最初は劇団ではなかったんですよね。 舘 劇団ではなかったです。というのも、その先がどうなるか全く分からなかったから。「とりあえずやろうか」という感じでした。しかも、私は横田がどんな戯曲を書くのかも全然知らなかった。 -- もう10年経っていますから(笑)、時効です。 舘 それで、横田がどんな作風なのかも知らないまま、「変わった感じの人だから、とりあえずやってみるか」ということで活動を始めました。何人か集まって「じゃぁ、やろうぜ!」というような始め方ではなかったので、劇団員のことまで考える余裕はなかったですね。 -- 旗揚げ公演のときから、2回目以降のことも意識していたのでしょうか? 舘 いえ、とりあえずは第1回と銘打っていましたが、“やってみてどうなるかな”という感じではありました。 -- それまでの活動でお互いに共通する部分というのはあったのでしょうか? 舘 ほとんどなかったです。だから、最初は人脈みたいなものの広がりはそんなになかったですね。初期のころは青年団の方にも客演してもらっていました。横田も青年団に所属していたので、青年団の方々は「こういう距離感の時は、こうだよね」という具合に、イメージする演技がすんなりできていましたし、横田との意志の疎通もスムーズでした。それに比べて当時の私は、「静かな演劇」の演技のノウハウがほとんどなかったので、それまでの演技の癖を「あれもやっちゃダメ。これもやっちゃダメ。それもやっちゃダメ」という具合にすごい勢いで矯正されていましたね。それで「え?!? 何もやらないの?!?」と思っていました。 -- 劇団化しようという動きになったのはいつなのでしょうか? 舘 第3回公演『測量』の稽古期間中に藤崎とちゅうりが劇団員になりました。公演を実施するには、公演団体を運営するという作業が必要になってきます。当時は、制作を含めた雑用系の仕事を私が、美術や舞監など、今はスタッフの方にお願いしているようなテクニカルの部分を横田が担当していました。もちろん、作・演出も横田です。 -- まるで、飲みに誘うときのような感覚ですね(笑)。 舘 そう(笑)。その後に温太郎にも声をかけました。でも、温太郎だけは「劇団員ってどいうものなんですか?
ちょっと考えさせてください」と言ったの。それで、第3回公演が終わった後に、劇団員ができたんだから劇団員全員ミーティングをしましょうということになって、温太郎に「劇団員になる気があるのなら、このミーティングに来てくれ」と言いました。当日、ミーティング開始前に温太郎が来たので「劇団員になるのか?」と聞いたら、「いや、まだミーティングの話を聞いてから」ということだったので、その席で再度話をして温太郎が劇団員になりました。 -- タテヨコ企画は10年経ったわけですが、これから先10年に思うところはありますか? 舘 細かい事柄は忘れてしまいましたが、それこそ劇団化したり、ギャラリー公演を開始したり、活動のメインの劇場も駅前劇場に移ったり、本当に創成期の10年したので“10年というのはそんなに長くもないんだな”という思いと“とにかく変化はしてきたな”という思いがあります。当然、今後も続けるつもりではいるので、いい変化をしていきたいなとは思っています。ただし、“10年後の目標がこの劇場です”ということではないです。もちろん、大きな劇場でできれば、それもいいのですが、タテヨコ企画の芝居を大劇場でやる必要があるのかという話にもなってきます。私としては、もう少し小さな場所でロングランでできるほうがいいなとは思っているので、そのための実績や実力がついてくるといいなと思っています。それと、“タテヨコ企画だからこそできること”や“集団だからこそできること”をやっていきたいですね。
舘 たとえば、渋谷の街を歩いてコクーンに行くとします。そうすると、コクーンに入った瞬間に“劇場に来た”という感覚になって、お芝居を観る雰囲気になってしまうと思うんです。それがギャラリー公演だと、自分が歩いてきた道がそのままお芝居につながっている。その部分が劇場のように密閉された空間とタテヨコ企画のギャラリー公演の違いじゃないでしょうか。つまり、客席から見えているのがお芝居のセットではなく、自分が感じてきた風景が広がっているという。そこが面白いんじゃないかと思います。経堂と銀座とでは空気感がまったく違うでしょうね。 -- 10年経って2つ目のギャラリー、しかも銀座ですね。 舘 面白いギャラリーなので、末永くお付き合いできればいいなと思っています。 -- ということはギャラリー悠玄には、他からも認められている面白さがあるということですね。 舘 ええ。なので、タテヨコ企画としては観に来た方を驚かせたいですね。それで、上の階にシェリー酒の品揃えでギネスブックに掲載されている「シェリークラブ」があるので、観劇した後はそちらに流れてもらって(笑)。 -- 今回の出演陣はいかがですか?初めての方もいれば、おなじみの方もいらっしゃいますが。 舘 瓜生君は劇場をメインに活動している方なので、その人がギャラリー公演でどうなるのかすごく楽しみですね。 -- 『夜まで待てない』に向けて舘さんの思いを一言お願いできますでしょうか? 舘 一言で!? -- では、三言で(笑) 舘 三言かぁ、難しいな(笑)。 -- 余談ですが、舘さんがDMに添えていたコピーはなんでしたっけ? 舘 “銀座でタテヨコ恋モノガタリ”。 -- ありがとうございます(笑)。最後に、この10年間でお世話になった方々へ一言いただけますでしょうか? 舘 ありがとうございます!! -- お世話になった方々への感謝の気持ちも込めて、『夜まで待てない』を良い公演にしたいですね。本日はお忙しいなか、ありがとうございました。 |
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